趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

朝顔にはじめて水をあげる実習の時。

あれは確か小学一年生の時で、春から朝顔を育てる、実習の時の事だ。

各自がお水をあげるために、牛乳パックを持ってくれるようになってた。

半分ぐらいに切って、コップ変わりに使う目的のため。

あれは確か初日。当然、俺も用意された牛乳パックの切れたものを学校に持っていった。

みんなが小さな、芽であったか、未だ土、種のままだったのかは記憶にないが、みんなでわいわいお水を捧げる。小さく微笑ましい。楽しい。教室は一階で、差し込む初夏目前の晴れた朝、きらきらだ。わくわくドキドキだ。その最中、誰かが、俺の牛乳パックが臭いと言った。牛乳パックに匂いが残っていたのだろう。牛乳くさいのだ。

俺は、瞬時に取り囲まれ、年少の集団サディズムの餌食になり、くさいくさいくさい!嘲られ、ついには泣き出してしまった。俺はあらゆる事を憎んだ。よく洗わなかった親、取り囲むサディズムに取り憑かれた子供達。牛乳そのもの。その水を与えたら朝顔は腐ってしまうのか、枯れてしまうのか。もう混乱である。知恵のない、小学生一年生だ。何も知らない。

そこに、先生が助けに来てくれたのだ。そこで先生は、こんな事をみんなの前で話してくれた。これは確かこんな感じで喋ったと言う事だ。要点は記憶している。

(先生、ゆういちくんが、くさい牛乳パックを持ってきて、不潔でいけない事をしました!迷惑です。と言う子供。)

何言ってるの。あなたたちは、お母さんの牛乳で育ったでしょう。今だって牛乳を飲んでいるよね。

だから牛乳が入っているぐらいの方が、栄養があってよく育つのよ!

的な事を言ってくれた。

そしたら、えーーーとなって、はーい!となって、手のひらを返したように、ゆういちの牛乳パックを貸して貸してと有難られるようになってしまった。単純である。何も知らない小学生一年生である。

ごめんね。貸してと言う子供に俺は、泣きながら、いいよ、いいよと言って、みなに貸してあげたのだ。そのおかげで、匂いも消えてしまったのだが、(凄い牛乳パックを持っている。)と一躍、ヒーローになってしまった。

くさい牛乳パック持ってきたいけない男子、へのサディズムは一転し、羨望の眼差しである。

ゆういちくんは、凄い牛乳パックを持っている。

その思い出を今朝牛乳を温めながら思い出してしまった。

あの時先生の言ったことは、正確には本当にの事ではない。その微量の牛乳成分が、朝顔に影響するとは言い難い。あの時先生はとっさの嘘をついたのかな。

いや待てよ。牛って言えば、本来草しか食べない、動物。牛乳は緑草からできているのだ。

本来、牛乳は草でしかない。六つある強靭な胃袋で血肉に変える。牛乳は草の血。命。

奇跡的だ。初夏目前の晴れた潤うきらきらだ。

先生、時々思い出しています。あなたの顔も名前も思い出せない。

私が明るく育ったのはあなたのおかげです。

あの時はありがとう。