断食の想い出
マタイ6-16断食をするとき,偽善者たちのように悲しそうな顔をするのをやめなさい。その人たちは,断食をしていることが人々に分かるように,顔を見苦しくします。はっきり言いますが,その人たちは報いを全部得てしまっています
雨が上がって晴れた朝。積み上がる積読の本。今日も休日不安定のまましばらくこのまま。
パイプは吹かしても1日二回までだな。摺ガラスから滲む青空を見てるよ。
あれは護摩焚。揺れる炎にマントラメラメラ断食二日目には足フラフラになってた。
お寺で断食修行3泊4日だったかな。キツかったし寒かったし冷えて頭痛くて熱っぽい。本は到着する前に読んでしまったし、読む気が起こらない無気力感。白湯を飲みたいのに喉も乾かないから旨くない。もう腹が減りすぎて寺までの坂道登れない気力一歩一歩階段あがる。
参加していた護摩焚は楽しい、そも燃えているし、一度も休む事なく続けているならわしでそうで、(何がなんでも続けている火で木とかを燃やすことを!)かっこよかった。メラメラと燃えているあれは密教的儀式で朝夕日々参加していくと信仰が宿るものだ。あそこの御本尊は鬼のような神で流れはヒンズーの神だろうか。皆なにを燃やし祈りや願いを捧げるのだろうかと来ては帰る人々を眺めて過ごしていた。売り出しのアイテムお守りやなんやかんやは軽い土産もの程度印や記念品てみあげ商売 参拝者の金を使い、落とす手段としてある。あまり深い意味やエネルギーは持たないと思う。なにせ現在、近代資本主義。金遣ってなんぼの価値観。まあありだと思う。偶像崇拝者はいたのかな。いないな。なぜならばすべて燃やし尽くす火を見に来ているわけだから。あとはすべて住職僧侶坊主も脇役に過ぎず炎対自身そしてその思い想いの対峙だ。会社の系のサラリーマンは商売繁盛か。病気のもの。祈るもの。願いを乞う者きっと様々。どうか、言葉よ宿りたまえ。だ。
俺は二日目にもう限界であったし、たかが3日と侮り、しかも体が冷える。後悔挫折まじか一歩手前。広い敷地を散策。
図書館を見つけて、精進料理の本を読む始末。それが良い本だった。知恵の詰まったお寺の料理本で、季節や、作法、流派、お客向け。その食べ方なども記載されていた。なかでも、なんとか味噌のページが好きで柚子味噌やら柿味噌やら、(もっといろんな美味しいそうな味噌があった。)これが食べたい。これを作ろう。とメモ。
食べたい食べようとよけいに腹を空かせて身悶えて過ごしたのです。
四日目の朝にはよくなってたと思う。過ぎ去った安堵感。感覚はシャープな切れ味。そこまで空腹感がない。あの日も晴れてたかな。
最後終わりに作文提出。真面目なことをさらりと書き、逃げ、
お粥を頂いたあとおいとましドトールでコーヒー☕️
砂糖を入れたら砂糖が口で粘つき不快。ブラックにすればよかったぜと
早速断食後はじめての飲食選択を後悔し、その町を後にした。
体重は落ちていたけど、もう、すぐに戻った記憶。
辛かった。けど楽しい想い出。