日々の影響の中に想う。
紙を買いに行って、じゃあ次なに描こうかなってなって、手が止まって一瞬ぼんやり思案した。バイトに行ってない、12月。sutdio 木 何か作業をしたい。温泉行ったからじゃあ次は遠出へツーリングになりづらい冬だから。文章を構築している作業と絵を描く作業は、やはり出方が違う。
言葉をつなげる作業を主に狙ってやってた頃。才のなさにも気づかずに、想念と頭の中で時だけを消費していたあの頃。それはね、言葉が足りないんだよ。と教えてあげたい。伝えたい事があった。多分きっと。でも伝えられない歯痒さ、焦燥。その繋ぎ合わせができない語彙の足りなさ。未熟。それでもあっけらかんと適当だったのが良かったよ。溢れる小さな煩悩とそれなりに付き合い遊び別れた数々の出来事。今夜も輝いている。物語は過去にありました。いくらでも構築できるほどのバカ話。泣き笑い。どうでもいいのに、忘れないよ。って事が愛しい。
画用紙は50円でそれよりも良い水彩紙は200円前後。じゃあなにを描こうかなってなったわけ。
俺はずっとバイトなど、労働対価を得る為に1日の8時間を使っていたので
その時間的拘束のある流れの日常の中でなんとなく、浮かんでくるものを絵にしてた。
この12月。ほぼ仕事がない。働きたいが面倒。手許に借りた現金があることをいいことに、
労働に足が向かない有様。どうにでもなりやがれと開き直り
あー明日はどこへ行こうかな名古屋とか行こうかななんてセルフトーク。
遊びモードが冬に開花だ。
しかし寒い。仕方ねえ、後一枚。作業でもするかー。
ヨガマットを用意し、白紙を載せて対面。
午後7時を待たず、猫と布団に入った。思案。
浮かんでくるのは、ブログやらnoteやらで、なれぬ頭で使い込んだ言葉。
肝心なぞうが浮かばぬ。さらに思案。
この紙になにを描くはずだったのかを、想い出す必要があると理解できた。
さらに整理していく。ぞうにも連なりがあるように感じた。
徐々に想い出しながら、連作の次が見えはじめる。
それは連なりでありながらも、
その合間にも、縁起の影響により、
更新され続け、想い出でありながら形をさらに変え、最新。
そこで、言葉の構築者が、絵描きの俺にこう言う。
「もっとも丁寧いに描き、かつ冒険的であれ。それが次に君の描きたいもです。」
今日は美術館へ。スーパーリアリズム!
写真と見間違えるほどの丁寧いな筆遣い。
いきなり影響を受けているなと想った。
描けたらこのブログで発表します。