趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

轢かれた猫のクオリアと。

Gundumが良い香りだ。糊のない巻き紙がおもしろくて上手に巻けると嬉しい気分になる。

吸い過ぎ危険だが、この香りには価値があると想う。

自粛的生活が性に合っている。外に出ると楽しいし、労働過ぎず、程度に動き、勉強もそれなり捗る。

金銭を得る必要に駆られているが、そこをクリアすれば、快適。ネット環境を否定できない。状況に慣れていくし、バイトへ出かけ8時間単純作業をしないという楽さは変え難い。

少々、労働に時間を費やし過ぎた。いや、そうでもないか。割と遊んできた方だから、今の貧困的な現状は否めない。収支のバランスはすでに崩れてしまっているからに、すでに2枚もの未払い請求書が部屋に送り届けられている。この借金を振り込めば、もう次は払えない。しかしシカトできない。借金が借金を呼び、作られた品も捌けないまま俺は再び、工場へ派遣されていくのだろうかと、怒りに近い不安を覚えても、ハーローワークへ足を運んだりしている健気な労働階級なのだ。

金を得なければ、面接までは漕ぎ着けて、受かれば最高にラッキー。今度こそ賢くやろう。出ていく金と収入を計算しながら。所詮労働階級故に、このまま、受け身のままに身を委ねて、いくと決着をつけるのには時間を要する。今度こそ賢くやろう。出し抜くのではなく、一般市民として、善良でありたい。パンデミックは脳内で起こるだろう。どうせ時間は過ぎ去っていくのだ。すべてはゴールへと導かれていく。ああすれば良かったものは決して掴めない。心の声が言う。とうに流れ去った魚を未だに追うのかい。君の目的は魚を捕まえる事じゃない。見定めた到着地点へ。跳ねられて頭が潰れて死んだ猫を拾った昨日、君の体はまだ暖かく柔らかかった。死んで間もない体をカラスが啄む。腕の肉が骨と絡んで鶏肉のようでフライドチキンを連想しました。畑の脇の草のあるところへ死体を安置してから間もなく、カラスは再びやってきて啄みはじめた。どうせなら全部食ってくれ。毛皮と骨を残して、お前の足しにすれば良い。そこを後にして、俺は給付金のための暗証番号の再設定のためだけに区役所へ走ったんだ。恐れていた4時間待ちの列はなかった。たった100000が必要だ。頭はクリヤにして、このシステムを理解し、受け入れる。面倒臭えじゃ100000は手に入らないからだ。

それからビニールのカーテン越しに就職紹介を受ける。労働労働労働労働労働労働労働。いいぜやろうぜ。コツコツ返してやる。善良と言われている正しいやり方で、馬鹿な労働者として、嘲笑う奴らがいたとしてもだ。勝ち上がる世界を俺は否定する。嫌いだ。そもそも気に入らねえ。美味い飯にでもありつけましたかねえ。その優越感。その劣等感。その競争社会。無職で低所得挙句に借金背負ってる負け組には価値がないですか。誰かが羨ましくて悔しかったら、頑張って勝ち上がって来いってか。俺はそのゲームからは降りた。あんたら仲良く蹴落とし合いながら楽しくやっててくダサイ。とこいつ、負け犬の遠吠えと笑ってください。そんなことより、新たな仕事のチャンスに喜び震えてハローワークを後にした。

受かるといい。返済を止めない。完済の夢。一か八かのギャンブルのような、俺の密やかな楽しみは、きっと買い取ることができないよ。ただより高いものはないっていうぜ。俺が持っているものは落とせば割れてしまうようなやわで、消えてしまう、あやふやなものかもな。それをただでやるよ。しかしながら盗んでいいとは言ってないぜ。犯罪者やわー。牢屋行きやわー。おいたが過ぎたね。手のひらがひっくり返っただけでゲームオーバーやわあー。所詮その程度やわー。塀の中でちゃんとお利口。できる子。お勤めしてきて頂戴ね。君たちの正しい社会のやり方で。蹴落とされてやんの。膨れ上がっていく多様な社会構造の中でまるで利己的に創り上げられた都内某所。高級タワーマンション。1番高い部屋。そこにだけが価値あると思ってんなよ。こっちから願い下げだバーカ。

とコロナ感染済みで犯された狂犬。負け犬の遠吠え根性を晒してここに置きます。

さあコツコツ頑張って金返しますか?

 

長い前振り。

さておき、こんなことがあった。

とある夕暮れ時。アニメの声優がYouTubeにライブで出演していた。最新のリモート配信。

俺は彼女の出演していたアニメが大好きだった。その30分弱を一週間の楽しみとして、テレビはその30分とそれ以外でしかないほどであった。月曜日に週刊漫画誌が発売し、その2日後に遅れたアニメが公開する。そのルーティンは数年の期間続き続けた。売れに売れまくっていた漫画雑誌はどこへ行ってもあるし、単行本はどこに行ってもある状態である。歯医者に行けば、雑誌があり、単行本はもちろんそろっていたし、水曜日の夜に用事があると時間が気になる始末である。

その声優さんは、もう声はそのまま主人公だったのでリアリティが歪み合致しない。その主人公はその主人公であるがために、声優さんではないからだ。でもその方で間違いなく、しかも、なんでも芸人さんをやっているようで、メイクをしていて余計に不可思議な気持ちになったのだ。次々にあらゆる情景が浮かび始める。それは水曜日7時のお茶の間であって、あの頃の抱いていた、ドキドキ楽しみにしていたクオリア

友人の家の本棚。兄弟の本棚。歯医者にあった週刊漫画誌。あれはきっと4時ぐらいで

、2時間待ちの歯医者に歯痒く帰宅してご飯を食べながら観れるかどうか。もちろん漫画の情景。アニメの戦闘シーンの長さ。CMいらないからもっとやれ感。あの時のCMは今思えば、子供向きだったり、その親御向けに作られていて無意識に刷り込んでくる。あれはアニメであったのにただの漫画雑誌だったのに、深いリアリティがあったのはその声が肉声であったからであると、俺はハイになって断言する。私の脳は発火して、思い出の波や浮き上がる映像、そして今現在と、目に映る声優さんのビデオとで私は台所にいながら、私は時間や空間を超え多様な映像とクオリアに同時に支配され共有しながらある意味トリップしてしまったのだ。こう言いたい。私は、思春期手前テレビから離れるそれまでそれと重なりながら、あなたの声を聞いて育った。きっと毎週、俺を呼んでいた。なぜならば夢中だったからだ。

それはニューロンの発火、そしてクオリアを形成しているその核なる源は生きている生そのものだと示していないか。きっと私たちはそこと繋がり通じ合っている。

と想った。

主人公は最後まで負けなかったし、生き続けている。

それはその物語は誰かが受け取り、紡いでいくからだ。