趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

次回のノートを考え中のためのタイピング。

ノートの更新。次は何を書こうかまだ決まってないので、情報収穫。あちこち出かけてみたい。

今夜はフラワームーンだそうで、今さっき満ちた満月を通過。ここから欠けていく。

暦は立夏を迎えて、まるでサンシャイン。生き残ってくれたカレーリーフは元気に育ってくれている。

冬の間は外に出しておくと葉を落としてしまうのだけど、春に芽を出してくれる。

姫リンゴは元気がいい。まだ実をつけたことがない。いつか地植えをしたい。大木になれば嬉しいな。

ほったらかしのラベンダーは蕾をつけて花を咲かしてくれそうだ。ラベンダーの種は持っているんだ。

今年は撒き損ねたけれど。心と体が一緒だ。そんな体感を得たいね。情報の1番下が体の世界。物理空間。その不思議で謎めいたリアルの中で、自在にコントロールできる。

ハワイアンのリズムがまるでバカンスみたいだ。原付が若干肌寒い時。厚着した上着を脱ぎ手持ちで動く億劫さをバックパックが潰れた上でサイドパックの動きずらさを。この季節の狭間に引きずりながら、明日の朝はどこへ行こうか。フランスのパンのバターの風味。溶かしたチーズを食べ続け、食料はなくなりつつあるし、10年前にできたばかりの公園は、草木が生い茂り、まるで森林に蘇りつつあるようだ。はちみつを買ったおかげと職を失ったおかげでと、私の砂糖菓子の消費が案外減った。コーヒー。三杯目は飲めずに水道水を飲んで渇きを癒している。偏頭痛は治そうと決意。捻ると良いらしい。それも笑顔で。どうも治りそう。今はいい。割とスッキリしたし、当分はノートネタも出てこない。脳内ネタ帳も空っぽになってしまった。楽である。つまりインプットがあれば、アウトプットせねばいつか靄る。学校等では、部活の大会、テスト等に、はけ口あったのだが、大人世界にその機会がない。この情報世界で溢れ膨張し続けている世に脳脳と生きている以上。インプットは起こり続けているのだ。そのアウトプットの機会は得てして自ら作る必要がある。で、なければ、靄る。故に弊害が起こり得る。と考えてみた。偏頭痛などどうか。その莫大な情報を整理して、形作り捻り出さねばならぬ。頭も痛くなろうぞと。つまりインプットはあなたのゴールにそって無意識にそれも自動的に起こると想定してだな、アウトプットのため日々整理し、形作る癖などを身につける必要があると私は睨んだのだ。例えばだ、日々の悩みや失敗、なんだ、辛い悲しい出来事とか。その一見ネガティブな経験もだな、その脳力で解決できないはずはないのであるし、それすらも片付けゴミ処理をして、整理し、ゲシュタルト化する。その一連の連なりは、あなたしか持っていない。それに価値があるのだ。伝えるか、形作るか、表現として発信するのか。それは出来上がったゲシュタルトによるんだと想う。それは新しい質感として、世に発現するだろう。その質感は誰かのニューロンを発火させる。それは、例えば、新しい形のコップかもしれない。

物理空間に出来上がった新しいコップに誰かが水を入れて飲む時、その形状、口感触、手で包んだ感触そのイラスト、水の味、食道を流れ、潤いによってその誰かの頭の中で、あらゆるニューロンが発火し、その誰かは、実はあるかないかもどちらとも言えない情報コップに当たり前のリアリティーをまるでバーチャルの認識の中で作りあげるのだ。

つまりそんな世界に生きている私達であるから、私という人間は何者なのかは、定義できない。もはや不要になってくる。なぜか。超ピュアな質感。超純粋なクオリアを獲得した場合を想定できるからだ。それは禁断の実のようだが違う。私がいう、その超純粋なクオリアを獲得した時、私達は完全に目が醒めてしまう。歪みなく完全なるすべてを認識する絶対現実を体験することだろう。いや体験とも言えない。完全なる観察者。その目そのものである。その超純粋なクオリアがあると仮定した上で、体験者、つまりあなたや私、ニューロンを持つモノすべては、その超純粋なクオリア獲得前夜では発火していないニューロンと同じであるからだ。いや、今現在も、その超純粋なクオリア故に体験者は知らずとも影響下であり、今も照らされているがな。まるで今夜のフラワームーンのように。

と、出まかせに長々と、何やら一見怪しげな文を残ししつつ。

今夜はそろそろタブレットを綴じたい。

瞑想のススメ後のブログ。それは次回へ繋げるためのきっとそういう流れ。

これはタバコを愉しむ。ためのブログだ。だからめちゃくちゃで、話飛びまくってもいいのだ。

一服したいと想う。