趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

17日も過ぎたあたりに更新。

ここ最近、食生活が少し変わったので、胃腸の感じも変わってきている。

あっという間に17日が過ぎ給料日が待ち遠しい。

金を使うたび、もう、このまま再起は無理なのではと思いつつ、電子マネーで支払う俺だ。

現在が忙しく充実しているために、特に芸術などに心が回らず案外快。

全く別の事柄に今は夢中だ。ゴールを決めればあと半年もすれば、発表できると思う。

出世よくもなく、取り立て、コネクションもなく、ありきたりな普通の日常を満喫。

思えば、ヨーガの教室で生計を立てるつもりが、どうにもこうにもうまく立ち行かず、流れてしまって、きっとこのまま流れていくのだろう。困窮。いや、そうでもない日々。

一人でも生徒がいればなと思う。俺はどんどんと堕落していくのだろうか。煙草などスパスパと吹かしまくり、労働に汗を流して、砂糖のジュースを飲みまくり、金はなく貧乏で、ゴミの山を見つめながら、宝の山じゃあと、その気になって、頑張っているのだから、もうどうしようもない。

金がなくなって3年ぐらい経った。それでもなんとかやり続けていけるのは、どうしてなのかしらと、探ってみても、まあなんとかなるのかな程度の回答。貧乏であるその不便さは、金を使いたい時に支払えず、不便であるというところか。なくてもないなりにやっていけるのだから、なんだろう。負債があるのは、重荷なってくる。どうせ働いても、すべては返済へ流れていくだけなのさ。それはもう俺の撒いた種。一応返済できている。旅行代金がもうすぐ支払い終わる。リボ払いの山はまだまだ積み上がりつづけて、さあ行けるところまで積み上げますか。と、開き直っておるのだ。

リボ払いを否定する声は十分承知だが、俺は助けられてる。きっと。どうかな。

芸術に対する手が止まってしまった以上新しい作品で、一気に返済じゃあ!はもう期待できない。コネクションもなく、無名であるので、やる気ももうどうでも良い。趣味で十分ですぐらい。

芸術的なアクションはその瞬間を超えてしまうと、なんだかどうでも良くなってしまうような。すっかり失念してしまったような。

40年生きたので、10年ぐらいなら簡単に超えられる。10年を返済の目安とし、じっくりと挑もう。

10年もあれば、作品も、ノートも、論文も、俺の料理の腕も、もっといろいろ。そうだきっと恋人もできる思う。もしかしたら、家族もできるかもな。車も持てるかもしれないね。

 

今夜この辺で、想う事は、

一気に一括で返済プランはもうやめたという事。コツコツと行きます。