趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

みをつくし料理帖を観た事。

上映の最中、2回もトイレに立ち、多分1リットルは流し出したんじゃないかと想われる、風邪か、若干の頭痛共に、秋といえば芸術。映像芸術といえば映画。そう一本映画を早朝観てきた。

みをつくし料理帖

金曜の朝など、大抵仕事。今日は無い。仕事が変わるその合間。ここはチャンスと出かけたのだが、

行って良かった。人間的。江戸の店のスタイルがまず好きだ。

テーブルがない。自由に畳に座れる式がイカしてると想う。テーブル空き待ちとかある現代とはちょっと違う式。食べ物が美味しそうだし、暖かく全体的にシャイニーな作品だった。

暗闇にもどこかに灯りが見つけられるような。ご飯っていいね。食堂っていいね。としみじみだよ。

俺も調理師免許を持っている。都知事から授与交付された時は、心底自分が誇らしかったものだ。

今はお店で働いていないが、料理は一人でちょくちょくしている。好きだ。ああ、あのマキ釜の火や、土間の上で料理する姿が愛おしい。江戸の頃はまだまだ、自然に沿っている気がする。それは、何というか、地に近いというか、裸足というか。友達の一人はそこから離されて暮らしてる花魁だ。

その対比が切ない。狐面の祭りのような花魁連中の催し事は、まるで、天の夢かそれはあたかも幻のような演出で、なお切ない。それは、作りもので、性商品として生きているからだ。

日常と切り離し、天のような作られた演出の中で生きる野江と、波乱万丈ながらも地に日常を生きる澪。この映画は原作全10巻の内、3巻まで話だから、

親友の二人はどうなるんだろう。原作を最後まで読み通したいと想った。

はじめに書いた通り、2回もトイレに立ってしまった。ここはチャンスと走ったところは、合わせだしのと頃と、最後の方の料理の場面。尿意で見逃した事を悔いている。もう一回見たい。

キャスティング最高。退屈なところはなかった。「食は天のなんとかかんとかなり。」ブログで自慢げに書こうと思った大事な言葉もすでに忘れてしまった。何だっけ。

拙者、みをつくし日々精進いたしまする。とアパート帰宅後、浪人風情で一人孤独に呟く始末。

とにかくよかった。見たらいい。料理人はきっと好きになると想うよ。