趣味のパイプで想うこと。

パイプ煙草を密かに楽しみ、想いを書きしたためます。読んでください。

リストラティブが必要。

私はヨーガの修行者なので、ヨーガを日々実践していますが、今まで筋トレ的なトレーニングにはいっさいというほどしてこなかったのです。仕事も肉体労働に変わり、息吹、風も背中を押しはじめ、せっかくだからこの際トレーニングとして意識しながら日々を過ごしているのです。そうすると不思議なもので、筋トレ的な要素が若干ながら日々に加わりだし、筋肉などに意識が行き始めてくるわけです。そして体がまるで赤身そしてササミのように徐々に育っていくようです。時には鏡の前に立ち、なるほどこれが筋トレ効果かなどと、自身を褒める始末です。今は冬。疲労が蓄積し、体が冷えはじめると、硬くなり痛みはじめます。だからなるべく温めておきたいと想うなど、ケア的な要素が意識にのぼってくるわけです。日々ハードなトレーニングになってしまいがち。リストラティブは真逆のアプローチの何もしないできる限り力をぬく休息ですが、とても重要な気がします。私の教師にも気をつけよと、言いつけられました。5日間の労働中は、ハイになっています。だからやりきれる。しかし、しっかりと休息を入れながら、気楽になれる時は、めいいっぱい深く休むべきであると思えます。冬の間はいつのまにか修行期間だなどと決めていて、以前は外で早朝、瞑想の練習ばかりしていた時期があります。終わりの帰り道は常に凍え、指先足先が痛いほどでした。今は走ったり、歩いたり、踊ったり、コーヒーを飲んだりしながら、冷やさぬよう、工夫しています。冬の朝は慣れて仕舞えば心地良く爽快です。ダウンなど内側に着て走ってしまえば途端に汗ばむぐらい体が暖まります。しかし、私はバイク乗りですので、油断してしまうと、簡単に凍えてしまいます。体を動かす事の利点は、多々あり、先ほど、腹減りそのうえでの食事のうまさに感激し、祈り、感謝を捧げてしまうほどです。胡椒を多めに入れたスープその辛味に感激しました。独り身で冬に修行ってどうかな?寂しくないですか?ぐらいに想っていましたが、これはこれで愉しみとなりもはや習慣と化して、日々は過ぎ去っていくわけです。がしかし、春が待ち遠しいこの上なく。冷たい真冬小雨の中、疲弊した体でバイクで凍えて家路を急ぐ際、雨粒に街頭の反射で前方がよく見えないために、これまたエネルギーを使い意識的に運転しながら、寒い寒いと恨み節を吐き出す始末。それ故に帰宅の喜びは、極上でありました。

湯たんぽを布団に準備し、猫をモフりながら、寝ます。